[2005.9月版]

>9/4
とりあえず北の大地

なんだか
ご無沙汰でございました。

先月は私
またもや旅行に行っておりました。
今度は
大学時代からの友人であり
共に本州や北海道などを
ちゃりんこで駆け抜けた仲の
マッスルみよぽん
略してまっぽんと
二人です。
彼は
度々コラムにも登場したような気がします。

まっぽんと二人ちゃりんこ旅行は大変久しぶるでした。
ちょっと懐かしく
ちょっと気恥ずかしく
そして
なんとなく
お互いが年を重ねたんだというのを
感じる旅でした。
そして相変わらず
肝心な時に
波長とかテンションとか意見とかが
合わないなぁと。

さて、二人で
宇都宮で餃子を食って始めた旅ですが
とりあえず八戸まで行きました。
私は
実はその後のことを
全く考えていなくてですね。

まっぽんは元ちゃりんこ部部長だったので
現ちゃりんこ部の若い学生たちと
北海道に渡って
道東を目指す予定でした。

私もそれについていこうかどうかなと
あれこれ考えていたんですが
結局帰る日程とか考えると
彼らとは
あんまり一緒にいる時間が無いなぁと。
目的地である
根室あたりにも着けないっぽいので
そりゃやだなぁと思い至りまして。
そう思い至ったのは
八戸発苫小牧行フェリーの船中でした。

何も計画の無いまま
とりあえず北の大地に行ってしまった
田中さん。
まっぽんは大学の後輩たちと合流するために
札幌以北に走っていってしまうので
札幌郊外でお別れでした。

気楽で気ままな
ひとりで心細い
ちゃりんこ一人旅。

その後
どうなったか
何を考えたのか
その時歴史は動いたのか。
次回コラムに続きます。


>9/18
すげーめんどうだし

さて
まっぽんと別れ
只一人札幌にいた
当時の田中さん。
さりとて
明確な目的地があるわけでもなく
むしろ
続けてきた旅の疲れのせいか
早く帰りてえ欲が
絶好調でして。
雨だし
向かい風だしで
ちゃりんこ的にも大変しんどく
まっぽんと別れた寂しさもあってか
気分は大いに
暗かったわけです。

とりあえず市内中心部に。

田中さんの今年前半を
大いに消耗させた
全国バルーンふくらましツアーで
札幌は来ていまして
その時に
市中心部はしこたま歩いていたので
土地鑑がありました。
見知った土地に来て
少し落ち着き
そこで
思いついた場所がありました。
場所は
狸小路七丁目のバー
「春さめや」。
件のツアーの折に
発見し
行きそびれたバーでした。

しかし
そのバーに行ってみたものの
まだ昼でしたので
当然まだ開店前。
ちゃりんこを傍らに
その付近のベンチに座り
帰りはどうしようか
今日の寝床はどうしようかと
ひとりぼんやり
雨止みを待っていたのでした。
そうして
狸小路のアーケードを行く
たくさんの人々を見るうちに
ああ いい街だなと
思い始めまして。
やっぱ帰るのもすげーめんどうだし
どこに行きたいわけでもないし
ならいっそ
ここに住むか!
な!
いいねそれ!
妙な案だね!
みたいな境地に行き着いてしまったのでした。

さらに続きます。


>9/19
家賃2万くらい出せば

こまごまと
続いてばかりで
これはもうコラムじゃあないなと
自覚している田中さんは
ちゃりんこで札幌まで行って
そこで暮らすことを
考え始めました。
というのが前回までのあらすじです。

さて
旅好きを口外して憚らない
自称よく旅に出る絵描き
私ですが。
旅をするのは好きだけれど
その反面
実はいつも
ああ 帰りてぇな
という思いもあってですね。

その思いは
旅の最中の不安
その間の自分の安定感の無さが
反映されているわけです。
んで
その思いを
さらに突き詰めてみると
「いつでも帰れるさ」
という認識に
裏打ちされていたからに
他なりません。

だけれども
今回のちゃりんこ旅行。
自力で5日間を走破し
フェリーに乗り
そこからまた半日かけてちゃりんこをこいで
たどり着いた先の
北海道札幌市です。
帰りのフェリーは
夏休みシーズンとあって
何日も満席状態。
お金もあんまりありません。
ましてや
同じ行程を
自力でちゃりんここいで帰るなんて
体力的にも
気分的にも
まったく不可能なお話でした。
雨だし。
それでも
何日か後には
地元福岡で中学の頃からの友人が
結婚式を挙げるので
奴の
その一世一代の
茶番劇には
どうしても間に合いたかったわけです。

そんな諸々の事情が
眼前に
雨と共にあり
ベンチに腰掛けた私は
「ああ、帰るなんてうぜーな」
と思ったわけです。
そして
帰宅すべしという宿題を
完全に放り投げる手段として
「現地で暮らす」
という発想が出てきてしまったのは
実に
自然な成り行きでした。
心身共に
疲弊していたのは
否めない事実でした。
「こりゃあ住んじゃったほうが楽だわ」
という
明らかな結論に至ったのでした。

これは実は
私にとって
長年
旅に出る度に
課題であり
憧れであった境地だったのです。
旅に出て
現地にそのまま居着いちゃうというのは
よほどその土地を気に入るか
自分ちに帰るのが嫌なのか
そんなとこだろうと
思っていたのですが。
そういう今までの認識を打ち破る感じで
すなわち
「帰るより帰らないほうがまし」
という判断の結果として
旅先にそのまま住んでしまうことが
起こりうるというのは
非常に
新鮮でした。

さて
その後
夜を迎えて
件のバー
春さめやに入った田中さん。
バーをひとりで経営している
私と同じ年のママさんから
「札幌に住めばいいよ」
と言われ
家賃2万くらい出せばこのへん住めるよとか
具体的に
好条件を提示される始末でした。

その後
どうなったのかは
またまた
次回のおたのしみです。


>9/20
狸小路七丁目アーケードの路地で

春さめやでは
程なくその場の空気に馴染み
CDはもらうわ
タダ酒はもらうわ
個展の約束はするわで
たいそう楽しんだ田中さん。
ぐでんぐでんになって
そのまま狸小路七丁目アーケードの路地で
寝たのでした。

翌日は
苫小牧に行き
駒大苫小牧高校の
甲子園優勝の瞬間を
地元の皆さんといっしょに見届けました。
その次の日は
まっぽんや
春さめやで出会ったヤマダモンゴルの店長さんのおすすめで
室蘭に向かいました。
霧に包まれて
完全に真っ白な地球岬に立ち
そこから
青春18切符で
電車を乗り継いで
家に帰ったのでした。

この通り
結局は東京での日常諸々を
捨て去ることのできなかった
私でありますが
だからこそ
そんな日常生活に無い旅を
好むのでしょうか。
無いものねだりでしょうか。

苫小牧では
市内で唯一の個人経営の映画館
シネマ・トーラスに
行きました。
そこの経営者のおっさんは
茨城から
小樽に旅しに来て
そのまま居着いて
流れ流れて
苫小牧で映画の灯を
守り続けているのでした。

今年前半の
全国バルーンふくらましツアーで出会った職人の
たっつぁんは
自分の家を持っていなくて
ツアーの間
ホテルと友達の家を点々としてたそうです。
熊本で
ツアー大団円を迎え
打ち上げの帰りに何気にたっつぁんに
「東京帰るんすか?」
と尋ねたところ
「いや、このままどっか行きますよ。」
と答えてくれたのでした。
そのまま
どこへ
たっつぁんは行ったのでしょうか。

旅の好きだった私の祖父は
その晩年を
息子夫婦宅である
田中さんご一家と共にしました。
勝手に何も言わず
遠くの温泉に行ったりして
母などは
大変な苦労をしたらしいのですが。
ある晩
唐突に
某温泉宿から
うちのじぃちゃんが倒れたという一報がありました。
当時
おそらくは冬だったのでしょうが
寒いので入らないでくれ
と言われた露天風呂に
勝手に入って
あっけなく心臓発作を起こして
亡くなってしまったのでした。
私はまだ小学生で
旅に出てはお土産を買ってきてくれるじぃちゃんが
旅先で死んでしまったという
その出来事は
私の中に
「じぃちゃんいい死に方したな」
という思いを残したのでした。
小学生にも関わらず
そんなことを思い
私は
なんだか
全然悲しくありませんでした。
どころか
その死に様は
いい死に様のひとつの典型として
私の中に
残ったのでした。
またそのせいで
単純に
旅っていいなと
思うようになった気もします。

そんな
旅と
それにまつわる人々を
やけに思い出すようでは
もう私も
いい歳なのかもしれませんねぇ。

おしまいです。


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