[2004.11月版]

>11/2
生きて証を

人生初江ノ島体験とか
野狐禅弾き語り対決ツアーファイナルを風邪で寝込んで行けなかったとか
といちゃんの卑猥バーの様子を見に行ったとか
中央線沿線で星型バルーンを揚げてるとか
○○が○○たとか
そういうことに
うつつをぬかしている間に
世間では大変。

新潟中越地震や
イラクで福岡出身の青年が惨殺されたり。

今ここで
こないだちょっとはやった
自己責任論なんか
持ち出して考えてみたりするわけです。

自己責任がどうとかいう論調は
最初から
あまりに馬鹿馬鹿しくて
私はあまり聴いてませんでしたので
それが
どういう論なのかも
別に明確ではありません。

単純に
『自分のケツは自分で拭け』
くらいにしか把握してませんが。
違ってたら
ご指摘ください。

んで今回も前回同様
誘拐された福岡の青年は
「てめー何やってんだー!この無責任野郎!自分で責任とれやゴラァ!」
などと
言われていたわけです。
そして
彼は
自分の行動の自己責任として
イラク人だか何だか分からない連中に
首を切られて
殺されたわけです。
自己責任論から言えば
立派に彼は
それに応えてしまったわけなんでしょうか。
どうなんでしょうか。

なぜあんな危険なところに行ったんだとか
見通しが甘いとか
無責任だとか
バカだとか
そういうこと言われているのを散々ネットで見かけましたが
そんなことは
彼自身
とっくに
誰よりも痛感してたんじゃないでしょうか。
あのビデオに向かっていた時に。

自分の行動の結果とか
責任だとか
そういうものは
想定のしようがないわけでして。
己の行動のすべてに責任を持てるような人間は
いません。
イラクに侵攻してどうなるのか
自衛隊をイラクに派遣してどうなるのか
外国人を人質にとって殺してどうなるのか。
その責任だとか
影響だとか
我々はもはや全然手に負えないわけです。

そして
人間は時に大きな間違いをしてしまって
そのせいで
たやすく
命を失ってしまったり
取り返しのつかない結果になってしまったり
そういうものだとも思います。
たまたま私は今のところ命を失わずにいますが
何の間違いを犯さなくとも
天災によって
不意に命を失ってしまうこともあります。
どんなに注意を払っても
最善を選択したつもりでも
最悪の結果が待ち受けていたりします。

それが何だと
言うつもりは毛頭ありません。
運命だとか自業自得だとかは
他人が勝手に決めることです。
知るかボケと言いたい。

福岡で過ごした彼が星条旗の上で死んでいたというニュースと
新潟中越地震で
土砂に埋まった車の中から助け出された男の子が元気になって
病院で飯を食ってるニュースが
同時に流れ
私はどうしようもなくやるせなく
しかしなぜか涙があふれ
男の子の姿にとてつもなく救われたような
気分になったのです。
香田証生さんは
生きて証を見せることは出来なかったけれど
無残に殺され
生命の証を示した。
希望も絶望も混然となっていて
私には
どう反応していいのかすら
分かりません。

世の中は
残酷な事実ばかりで
結局そこに意味すら見出せず
それでも生きていくしかないね
だけどいつか死ぬんだねと
ほざくしかないのでしょうか。

少なくとも私は
己の要求や欲望を通すために
人の命を顧みない
そういう行動に出る人間は
許せません。
別にそれは
テロリストだけじゃなく
政治家だったりもするわけですが。

あと人が死ぬってことの重大さを
理解できないで
自業自得じゃー
言ってる連中は
くそ。

くそっ!くそっ!


>11/4
無茶な形してるから

blogやら何やらで
香田さんのことを書かれたテキストを読み漁って
完全に
どよーんとして
本日のバイトに向かいました。

またしても東京都の話で
恐縮ですが
JR中央線の新宿から立川くらいまでの駅
8箇所で
星型のバルーンを揚げるキャンペーンを
やっているんです。
それのひとつが
私担当。
中野駅前です。

昼の3時から揚げ始めて
夕方になったら
点灯させます。

夜はほんとに目立って
綺麗で素敵なオブジェ。

中野の裏通りを歩いている親子連れの
ちっちゃなこどもが
わーって言って
近寄って見に来たり
若者たちが
写メール撮りまくったり
そんな景色が
都会のビルの屋上から見えるのです。
ビルは
アパートにもなっていて
その住人が
何人か屋上に上がってきて
盛んに質問してきたりとかですね。

ふふふ。
私が揚げているのだよと
誇らしげ。

星型バルーンは
駅のホームからよく見える状態で
揚げられています。
中央線の駅のホームなんて
通勤やなにやらのために
完全に交通目的の人たちが
他人同士
ゾンビのように集まって
電車を待っている所。
私は
とても嫌いな空間ですが
そんな気まずい空間から
黄色い光る星の
バルーンが見えるようです。

サラリーマンのおっさんたちが
指さして何か言ってたり
女の人がずっと
じーっと見てたり
よく見ようとホームの端まで来る人がいたり
届きっこないのに
フラッシュたいてカメラに撮ってる人がいたり。

この星型バルーンを中心に
それを見た人が
まるで生気を取り戻すかのように
好奇心とかに駆られている様が
よく見えるのでした。
すごい。

このバルーンは
某社のキャンペーンなんですが
このすごいバルーンを
じゃあ私は
香田さんに捧げようと思いました。
この
街に生命をもたらすかのような星を
彼に捧げようと
彼のために揚げようと
思ったのでした。
何か彼のためにしてあげようと思っていて
出来なかったと思っていたけれど
もしかしたら
これから
私は彼のために
何かをしてあげられるのかもしれないと
思いました。

そしてまた
彼に捧げることは
世界中の悲劇や
命に捧げることでもあると思ったのでした。

私が勝手に彼のために捧げた
この物体が
中野の街の人たちの心に
それぞれの感情と共に
命を与えていくのだと思うと
それは
素晴らしいことじゃないかと
勝手に盛り上がった
文化の日。

無茶な形してるから
あまり揚がりませんが
もし中央線で見かけたら
おもしろいので
見てみてください。

今月8日まで。


>11/5
続けるおつもりですか?

ついに発刊の運びとなった
ヘルボーイ邦訳版
「妖姐召還(原題:Conqueror Warm)」
ついに手に入れたですよ!
やたー!!

実はこのミニシリーズ
Conqueror Warmは
私が初めて買った
ヘルボーイの原書でして。
故にそれだけ
思い入れも深いシリーズなのでした。
まじ涙出ました。

話は大筋で理解してたので
細々なところが
次々と明らかになって
非常に
新鮮。
日ノ出掲示板で画像借用してる
Lobster Johnsonとか
こんな感じのキャラなのかとかね。

んで
邦訳版では
Conqueror Warmを「覇王姐」なんて訳してますが。
(仮)のころに出てた
「征服蟲」のほうが私は好きだったなー
ネーミングとしては。
いい訳じゃなーいって思ってたし。
覇王姐かー。
こえー名前。

何より嬉しかったのは
巻末のミニョーラインタビュー。
近頃
全然ヘルボーイの新刊を手がけなくなっていた
ミニョーラさんなので
もうヘルボーイ飽きちゃったのかなぁ
あーあ
これだからアメリカンは
などと思っていたのですが。
インタビューで
映画について質問されてるところで
今後も映画界での活動は続けるおつもりですか?
との問に対し
「私のやりたい仕事は、やはりコミックスです。
私にとって、コミックスに勝る仕事はありません。」
だってさー!!

ミニョーラはジーザス・クライスト・スーパー・スター!

ところでそのインタビューで
ミニョーラは
件の地獄少年映画について
「完成した映画にはとても満足しています。」
とのこと。

ん?
どの映画の話?

きっと
「完成した映画にはとても満足しています(笑)」
の間違いですね。
はー危ない危ない。

あと余談ではありますが
小プロ版から
ヘルボーイの訳者として頑張ってくだすってる
堺三保さん。
私はずっと
三保(みつやす)を三保(みほ)と
読んでおり
おねぇさまだと思っていました。
すいませんでした。
さんぽさんのHPでご尊顔を拝しても
分かりませんでした。
大変失礼を。

これからも
さんぽさんとジャイブには期待してます。
相変わらず高いけど。


>11/6
いいぞっ!って拳を

今月はたくさんコラムを書く時間があって
いいなぁ
うれしいなとほくそえむ田中です。

今週
私の大学時代の友達が
二人
個展をやっています。
どうにかそれに行きたいのですが
行こうと思って
朝早く起きようとしたら
遠くで
「立てー!立つんだー!!」
という声が聞こえるものの
「だ、だめだ・・・。体がいうことを聞きやしねぇ!」
という状態。
うあー。
また見逃すのか
友達の個展を。

スケジュール的に
そこは無理ぽていう
会期が多くてですね。
前にも>9/25のコラムでそういうこと書きましたが
同じ野心とか
目標とかを持って
粉骨砕身してる連中の
現在状況報告会みたいなものですから。
個展て。
多少無理してでも
行きたいなぁ。
でも洗濯もしないと
本格的に今後のバイトに着ていく服が
無いぞ田中みたいな。

ああーん。

その他にも
同級生が
新しいギャラリーの形態を模索して
有志で立ち上げたギャラリーとか
やっててですね。
すげえなぁと。
さすがだなと。
たぶん私は
彼らに加わることは
無いでしょうが
それでもその志とか
方法とか
非常に共感できるし
いいぞっ!って拳を握って言ってやりたいわけです。

いいぞお前ら!

そんな私は
人に言えるほど
自分の制作活動をやれているわけでもなく。
ただ
日々花粉症の時に垂れ流されるように出る鼻水みたいに
薄いイメージを
紙に描きとめていたりするくらいで。
他に
キリンアートプロジェクトの
応募テーマ「次次」に
自分の作品をうまく
こじつけてみることをずっと考えていたり。
アドバルーンって
きれいだなーって思っていたり。
ヒマだから
ヘリウム吸って歌唄おうかなとか考えてたり。

そんな具合で
度々
己の本業が何かを
忘れてしまいます。
香田さんにバルーンを捧げるのはいいことだと
思っていますが
本業で何か出来ないのかと。
本業以外が
わりとうまくいってるのが
けっこう良くないみたいでして。
なんだそっちで生きていけるじゃん
みたいな意識がどっかにあって
非常に良くない。
本業のために
いろんな別のことをやっているのに
正に本末転倒。
だけれどそれも
自分が選んだので
なんとか
無様に這いずり回って
己の成し遂げんとすることを
目指すしかないわけですねと。

今は
焦らず
出来ることをみっけてやろうかなと。
思うわけです。
推進力を得るような爆発を
期待しつつ。

次だ次ー!

お、こじつけられた。


>11/11
前述の理由でおっくうですが

今月はたくさんコラムを書く時間があって
いいなぁ
うれしいなとほくそえんだら
次の日から
書く暇が無くなりました。
不思議です。

いろいろ書きたいことはあるんですが
毎度の事ながら。
気持ちの余裕が無く。
なんせ
またもやバイトなのに出張に行くんです。

こないだ中野で
現場のすぐ近くに
カメラ屋を発見し
一番近いアミューズメントスポットだったので
連日足しげく通ってみたわけです。
ひたすら毎日
フィルムだけを見てました。
だってみんなカメラ見てるんだもん。
フィルムコーナーだけ人がいなくて
居やすかったんだもん。

そういうわけで
結局
モノクロフィルムを買ったり
10本パックのカラーフィルムを買ったり。
テンション上がりまくって
連日
同じ場所を撮りまくったのでした。

ただ
なんか写真を撮る意欲とか
志向とか
そういうのが以前と違ってきまして。
詳しく書くのは前述の理由で
おっくうですが
とにかく
写真撮りブーム田中。
なんか
絵を描く時みたいに
いろいろ自分の衝動や感情をコントロールして
それをどう表現するかとか
考えずに
相当直感的に事物に向かっていけるのが
純粋に
快感。
瞬間でビッと来た風景に
そのまま入って取り込むといいますか。
なんか風景を切り取るとかいう感じじゃなくてですね。
その風景をそのまま
切り出すのではなく
カメラを通して
咀嚼して
ビッときた感覚に迫っていってシャッターを切る。
そんな感じ。
自分の中では
単にスピードの違いだけで
絵を描くのと
そんなに違わないかも。

今までは自分の絵画制作の
資料作りとか
芸の肥やしに
くらいに思っていたんですが
なんか
絵の制作といい感じで
切磋琢磨して
同時進行できそう。
まぁ
そんな真面目にやるつもりはないですが
今のところ。
それでも
そういう姿勢で
写真を撮ることで得ることが多いのです。
資料作りのために街で見かけた
おもしろグッズとか撮ってるよりも
はるかに
感覚に響いてきます。
なんか
絵描くの速くなってるしですね。

そんなあんばいで
出張中も
写真撮りまくるぞという
意気込みでした。


>11/16
しようかこんなに

埼玉県北部に
妻沼町という町がありまして。
そこで
バイトをしていました。
出張してました。
健康ランドに泊まっていたんですが
風呂で十分に疲れが取れても
マットレスの寝心地が悪くて
朝起きる時は
十二分にしんどかったです。
お疲れ様でした。
妻沼はいい所でした。

ところで
来年2月に
相棒と借りてる仕事場の契約が切れるんですよ。
んで
いろいろ次の仕事場どうしようとか
引越しせにゃなぁとか
考えていたわけですが。
そんな思索の旅の中で
肝心なことを
思い出したんですよ。

仕事場を借りた直後
東京都杉並区某所の住宅街の真っ只中ということで
こりゃあ何か
やりたいなと。
ここを
展示場所にするのもいいなとか
言ってたわけです。

今の仕事場の環境は最高なんですが
住処からのアクセスの問題とか
家賃の問題とか
スペースの問題とかで
更新はしないなーっていうのが
相棒と私との共通の見解でございまして。
じゃあ
来年の1月2月
それぞれ
1ヶ月の期間で
個展やるかぁー
っつーことでして。
最後に一華咲かせて
颯爽と消えるかと。

私と同じく
相棒も熊谷に出張中で
宿泊場所は同じく件の健康ランドだったので

仕事上がりに彼に会い
そういうことを話し合い
やるかーっつーことに
なったのでした。
二人で
勃興してたのでした。

んで妻沼の現場で
雨に降られながら
風にあおられながら
あんなにしようかこんなにしようかどうしようか
誰を呼ぼうか荷物をどうしようか作品はどうしようか
等等
諸々の心躍る思索の旅に
出発進行してたのでした。

うおー!
やるぞー!
DM欲しい奴メール送れやゴラァー!

いや
まぁ
メール
よろしければということで。

あと近頃
普通に座ってるだけで
小刻みに地面が揺れているような気がしたり
停まっている物がいろいろ動いて見えたり
絵を描いてるとトチ狂いそうになったり
そんな具合なのは
やっぱり
なんか悪いですか。


>11/17
キナクリドンレッドミディアムじゃなくて

2004年度下半期にして
写真に目覚めた私ですが
カメラを携帯するのが
非常におっくうという
新たな問題に直面しました。
いや、前からなんですが。

元来
絵描きを自称しながらも
絵の具をチューブから出したりするのとか
すごいおっくうな性格で
筆を洗わずに放置し続けて
予備校の先生に怒られた程です。
めんどくせーよー。
ちなみに
今はアクリル絵の具を使っていますが
油絵の具を使わなくなった理由は
筆を洗うのがめんどくさいから
です。
だって油絵の具ってすんげえガンコな汚れなんだもんよ!
筆の根元とか
どうしようもねーんだもんよ!

そんなわけで
カメラって私が持ってるやつは
すげえ重たくて
持ち運びに不便で
持っていくのが割と嫌だったり。
はいはい
根性無しとも何とでも呼んでください。

でもシャッターを押すのとか
フィルム巻くのとか
ピントあわせるのとか露光合わせるのとか
フィルム入れ替えるのとか
そういうのは
好き。
手ごたえの問題ですな。
あと、そういうことやってる間の
自分の姿に酔ってるわけです。
そんな近頃のナウいカメラみたく
フィルム入れて蓋閉めるだけでガッチリセットとか
しないもんな!
通だもんなこちとら!
みたいな。
全然通じゃないくせに
やたら通ぶりたがる昔からの性格です。

考えたら
絵の具をチューブから出す時はめんどくせえですが
絵の具を選んでいる時とか
「いやーこの色はキナクリドンレッドミディアムじゃなくてナフソールレッドライトだな。うん。」
とかさ。
すげえかっこいいじゃん田中!
筆をどのサイズのどの形のを使おうか思索して選んでいる時とか
すげえかっこいいじゃん田中!

とまぁ
そんな具合で
めんどくさい波動を打ち破ることが出来るのです。


こないだ某写真好きの三十路の人にもらった
モノクロフィルム現像キットの
説明書を読んだところ。
え〜なになに。

「現像をはじめて定着が終わるまでの取り扱い方を充分練習して、順序を覚えてから処理してください。
説明書を読みながら処理することは、失敗のもとになります。」


え〜。
まぁいいや。
で、その取り扱い方とやらを読むですよ。
行程のBがですね。

「パトローネを持ち、時計を見ながら回転ふた@の矢印方向に回して、3秒間に10回転の速さで回せるように
練習する。」


いやだ!!
練習嫌い!
練習すんのかよ!
しかも行程16まであんじゃん!!
ぬがー!

しかしここで
私の闘志に火をめらめら着火させる文言を発見。
元々このキットは
24枚撮りフィルム用でして
私がこないだ中野で勇んで買ってしまったのは36枚撮り。
その辺ドキドキして
どうなのかしらと、もしかしてやっちまったかしらと
思っていたのですが。

「36枚撮は熟練すればできます。」

やったろうやねぇかぁあ!!
これでも高校で
カメラの原理について学び
実際にモノクロフィルムの現像から
プリントまで
やってみたことあるんじゃあ!
手先の器用さは
その辺の
レジ打ちのパートのおばちゃんなんかにゃまだまだ負けやせんぞー!

という
お話でした。

最初
何の話してたっけ?


>11/18
筆が悪いんじゃあ筆があ!

まずお詫びです。
>11/16のコラムで
DM送るからまずメール送れ!と書いたわけですが
上記のメールは
アドレス間違ってました。
うわーん!
ごめんちぃ。
送ってくだすった方がいらしたら
マジすいませんが
また送ってください。
修正してありますんで。

さて
今日はだらだら日記を書きます。

午後を目前にして体の血のめぐりの悪さに耐えかね
起床したわけですが。
むしろ
寝すぎて体は
重すぎ。

今月前半分を全部バイトに取られ
ようやく休みなので
そういや本業はアドバルーン屋じゃなかったな!
と思い出して
仕事場で本業開始。
ていうか仕事場で寝てたんですが。

>10/20のコラムで書いた
後輩のための作品を仕上げました。
どうだろうこれ
という仕上がり。
こういう感じでファイナルアンサーの時は
決まって良くないわけです。
描き直しかこれ。

なんか
今日は調子悪げ。
気分転換だぁ!とばかりに高円寺方面に繰り出します。
先日
バイトの帰りに環八と五日市街道の交差点で
プシューっと
パンクした原付を
仕事場近くのYSPに持っていきます。
住所を書いたら
そこのおばちゃんに
「あらー。遠いところからいらして。」
と言われて
「仕事場が近くなもんで。」
とは田中談。

今まで
私は毎年の冬にお気に入りの帽子を
ひとつづつ紛失してしまっていまして
こないだも見事に紛失しまして
ちょっとあったけえ帽子を買いに
おしゃれな街に繰り出したわけです。

お気に入りの帽子屋の
店員のおねぇさんは今日もすんげえフレンドリーで
風邪ひいて脂汗出てるくせに
私のいい感じの帽子を探してくれたり。
買って被って仕事場に戻ります。

それであれこれやってるうちに
やっぱりうまくいかず
しまいに
筆が悪いんじゃあ筆があ!となり
丸の内線で新宿に。
そして世界堂に。
筆と水溶性パステルゲット。
ついでに
タワレコで
野狐禅の「東京23区推奨オモイデ収集袋」購入。
それと、なんか
アートな映像に飢えてる近頃だったので
10階まで行ったら
椅子で有名なイームズ夫妻の映像作品DVDをみっけたので
購入。
あとダイビングインストラクターのかっしーが
見れ!言ってた
Peter Toshが出てるほうのRockersのDVDも購入。
それとユニオンで
渚よう子とBAD COMPANYのCDを購入。

充分に
買い物欲を満たして
仕事場に戻ります。
それから
マーチに乗って
助手席でリップスライムが好きとか言ってる奴に
うるせえ!くだらねぇ韻を踏むくらいならピストルの愚痴でも聴け!!とばかりに
多雨がバシャバシャ
フロントガラスをぶっ叩く中
東京23区推奨オモイデ袋を
ガンガンにかけて家に帰ったのでした。

家では
今日はどうにもならんかったなぁと思いながら
次第に竹原ピストルの愚痴にやられ始め
イームズの映像に
つまんねー!!と愚痴を吐き
新選組!の油小路の決戦を
つまんねー!!と同様に愚痴を吐き
渚よう子おねぇ様の歌声に癒されたのでした。

うはは!
長いよ今日の日記!

すいません
なんかすごくテンション空まわり。

描けるかな今やってるやつ。
ホントは
ちょっと凹み気味。


>11/21
ピストル竹原に歌ってもらう

自宅の安価な本棚が
倒壊しました。
傾いていたのを見て見ぬ振りしていたんですが
ついに完全に上段の本とかと共に
なだれ落ちたようで
そのあまりの惨状に
やはり見て見ぬ振りです。

そんな陰鬱な事件の中
村上隆や奈良美智を見出したギャラリスト
小山登美夫氏のこぢんまりとした講演を
聴いてきたりですね。
そのほとんど昇天したままのテンションで
仕事場に行くと
運良く相棒がいて
個展の日程を完全に決定したりですね。
それを
上司に何気に報告すると
バルーン揚げろよと
言われたり。
揚げるかも。

そんな具合で
やはり
バイトでアドバルーンを揚げていたわけですよ。

週末の巨大スーパーと住宅展示場との
狭間の公園のベンチで
絶妙に孤独だった私ですが
そんな中
ipodで東京23区推奨オモイデ袋を
聴いていたのでした。

曲も存在も徐々にメジャーなほうに行っている
野狐禅を
歯ぎしりしながらも
ピストルの言葉に
ガスガスやられていくわけです。

踏切のあたりまで行ったら折り返そうかなどうしようかなていうかこのままどっかに消えちまえ!
な歌とか
全くお呼びでないそのタイミングだからこそ
の歌とか
気でも違ったか己に往復ビンタ秋でもないのに頬に赤い紅葉
の歌とか
疲れきってしまって閉めきったり閉じこもったりして青を塗って白を塗って一息ついてから最後に僕の気持ちを塗った
歌とか
絶望を喰らって激情を吐き出してナンボの人生
の歌とかですね。
もうね
野狐禅の歌は
私の心にど真ん中ストレート剛速球なんですよ。
それを
私は心のキャッチャーミットで
ばっちーん!
と毎回毎回受け止めるんですよ。
痛いし。

前作「鈍色の青春」もそうでしたが
野狐禅の歌に現れる
ピストル竹原の絶望の仕方
希望の持ち方は
私のそれとほとんど変わりなく
稀に
もうやめてくれ!と言わんばかりのものなのです。

それでも
それを
そのままストレート剛速球で
歌にして
飯を食おうとしているその存在は
私には
手と手のしあを合わせる存在なのです。

んで
その某市で
週末
長閑な気候の中
順調にアドバルーンを揚げていたせいで
またしても
野狐禅のライブを拝めなかったのでした。

この気持ちを
ピストル竹原に歌ってもらうとしたら
自殺志願者が線路に飛び込むスピードで僕は部屋を飛び出しました
目に映るものすべてをぶっ壊してやりたかったけど
そんな時でも一番お気に入りのTシャツを着てきた自分がバカバカしくて・・

でしょうか。

とりあえず
ちゃんとした本棚
買いに行こうと思います。

>11/22
業界独特の陽気さで

今月末〆切の公募とか
諸々が重なって
やばいよやばいよ
なんで一日は24時間なんだよと
毎度の慌てふためき様です。

そんな迫り来る
時間制限の中
見事な倒壊を遂げた
件の本棚ですが。
さすがに現実と向き合わなくてはならないと
捨てるために解体作業に取り掛かりました。
さすが安価なだけあって
そのプラッチック製の脚の根元とか
素手でポッキンポッキン取り外すことが出来ました。
それはそれで
ざまあみろ!的な快感なような
お前そんなに虚弱だったんか・・・という悲哀なような。

んで
その棚の上に乗っかっていた
本の類とか
DORAさんにもらった大量のガンダムのガシャポンのやつとか
うまい具合に
部屋に
鎮座できたのでした。
前以上に。

君むしろ邪魔だったのねと
今はベランダに
天板だけ放置された
元本棚を
物悲しげに見つめたのでした。

それから
先月の名古屋での苦闘の末
ロープのテンションに耐え切れずに
倒壊していた
お気に入りのプーマのスニーカー。
もうボロボロです。

なので新しい靴をと
ABC-MARTとかではなく
前々からすごく気になっていた
鳶グッズ屋に
行ってみました。

もはや
完全にバルーン職人になりつつあるわけですが
そこには
私の望んでいたような
丈夫で
履きやすく
かっこいい靴たちが
ズラリと揃っていたのでした。
店のおっさんたちも
この業界独特の陽気さで
もう完全にリアルお気に入りリスト登録です。
バルーンの仕事で
よく接する
多くの裏方のみなさんの雰囲気を
バンバン醸し出しているこの店で
今後も
靴とかいろいろ購入しようと
思ったのでした。

サービスで
ライター付けてくれるとことか
もうたまらんっ♪
ファック健康増進法!ですよ。
まぁ
私はタバコ吸わなくなりましたが。

んで
家に帰って
その名古屋で大破した
プーマのスニーカーに
木工ボンドをベタベタ塗って
蘇えれるんならもう一度這い上がって来い!と
念を込めてみたのでした。

そんなコラムですが
なんか
野狐禅の語り口調が
移ってきてる気がします。


>11/26
さらに倍増させる効果を

某県某所の某外食チェーン店の
某入り口で
フリーマガジンR25をゲットしました。
前から気になってはいたものの
なかなかゲットできず
まぁ
そこまで興味も無かったので
機会があれば
読んでみたいな程度で。

きっとフリーだから
内容は
話半分宣伝半分みたいな
感じなんだろうなぁと思っていたら
そういう感じのものだったり
そういう感じじゃないものだったりで
まぁ
そんなに構成に関しては
どうでもいい感じ。

思っていたよりも
がんばってんな
まぁこんなもんだろうな
みたいな状態でした。
おもろいところはおもろかったです。
がっかりもそれなりにありました。

んで
今号は
モンキーパンチのインタビューが載ってて
それが面白くて読んでたわけですが。
モンキーパンチは
アメリカ毒雑誌MADのイラストタッチやら
マーヴルやらDCコミックスやらの
描き込みに興味を持ったらしく
それで出来上がったのが
ルパン3世な
あの感じだそうで。

アメコミとモンキーパンチといやぁ
中公アメリカン・コミックス「スーパーマンの最期」 中央公論社刊
の翻訳として
有名ですね。
この翻訳書が示したものは
前後関係を完全にフォローせず
ただ翻訳しただけのアメコミが
いかに
訳が分からないものかと。
アメコミの荒唐無稽さを
さらに倍増させる効果をもたらすのかと。
そういうことを
実験的に行った意欲作です。

実は私
当時このスーパーマンの最期こと
The death of SUPERMANが本国アメリカで発刊された時
日本の夕方のニュースでも
取り上げられていたことを記憶しています。

その時ニュースキャスターが
「コミックスでは人気低迷中のスーパーマンが誌上で死ぬという事件が起きました。
尚、その後スーパーマンは見事復活を遂げたということです。」
という主旨のことを言っていたのを
鮮烈に覚えていまして。
子供心に
ああアメリカのマンガは無茶苦茶なんだな
人気取りのためなら何でもやるんだな
と思いました。

今でも
その思いは大して変わってません。


>11/27
お客さんどうぞ

CDとかのライブ盤は
基本的に嫌いです。

そのわりには何枚か持ってますが
そして
それらはけっこう好きだったりするんですが。
それでも
楽曲の良さだったりで
何とか救われてるだけでして。
基本的に
嫌いです。

だってさ。
なんかHey!Everybody!!とか
今日はお客さんどうぞ楽しんでってくださいねーとかさ
もう完全に
この六畳間の空間とは
異質なわけですよ。
うちのオーディオを中心として
空間がねじまがっちゃうわけですよ。

んで
その場の雰囲気をなんか音とかで
読み取れるわけですが。
それがねー
あー私はその素晴らしいライブの会場に
いなかったんだなと。
思うわけですよ。
生の場所にいなかったのねと
痛切に感じ入るわけです。
普通になんか悲しいし
凹む。

特に語りとか入っちゃうともう
完璧だめぽですね。
いや、いいこと言ってたりするんですけどね。
当時の生々しいその場の感情を
読み取れるわけですけどね。
だけどこっちは
その時
こたつ入って色鉛筆削ってたりとかするわけですよ。
BGMのくせに
うるせーよと。
思うこともしばしば。

いかに自分が
心の狭い人間であるかと
そういう人間の証明ですかね。

それでも
やっぱ
ライブ音源ってその日その時その場所でしか
出なかったものが
抽出されてたりして。
買っちゃうんですよね。
それで
あーすげえーって思うことも
しきり。
だけど
なんで私は今
こたつあちーよ
温度調節つまみ下げなきゃ
みたいになってんのかと。

感情が
ぐるぐる。


>11/28
斬新かどうかはどうでも

個展までにやらなければならないこと
やりたいなぁって思っていること
諸々がございまして。
全部やってやる!と
息巻いているところです。
また白髪増えるぞ田中。

今月30日までに
書類必着だった公募に
展示用の作品写真が必要とのことでして。
実際飾る予定のブツの写真ですな。
でその
実際飾る予定のブツが出来てないものですから
某空手家からの飲み会のお誘いなどと
ドタキャンしてまで
励んでいたわけですが。

昨日飛び込んだ最新情報によりますと
〆切
来月10日まで延期だってさ。
ふーん。

まぁ余裕が出来たのはいいことだ
ということで
今日も
朝から制作に励んでいました。

私は存外
編集作業とかが実は好きだったりしてですね。
まぁ編集と一口に申しましても
多種多様にあるわけですが。
今回のその公募に出すべく
やってるやつは
もう作品自体は完成しているんですが
それを
いかに展示するかと。
いかに額装するかと
いうふうに言い換えてもいいかもしれません。
まったく新しい!斬新な!額装!ですよ!
たぶん。

いやまぁ斬新かどうかはどうでもいいんですが。

んで
そういう作品をどういう感じに
見せびらかすかというのは
一種
編集作業なわけでして。
それには
ブツを作る時とは違った
感覚や快感があるわけですね。

切って貼って切って並べて
置いたり外したり。
なんのこっちゃと思われるかもしれませんが
まぁ
実際のブツを見て頂けると
お分かりになるかと。

一応
その公募にも出すんですが
ちょうどその会期が終わってから
私の個展が始まりますので
そっちにも
展示する予定です。
ご覧下さい。

ああ
しかし
眠いなぁ・・・。

こういう作業をやっていると
食欲排泄欲疲労睡眠不足等を感じなくなってくるのですが
とりあえず
風呂には入れよと
怒られたところです。
飯も
ちゃんと食っとこう。


>11/29
拳を握ってその己の握力でもって

個展が近づいているせいで
盛り上がっているので
美術ネタが
続きます。

大抵の私の世代の人が
そうなんですが。
なぜかみんな
作品の題名を付ける時に
必ずといっていいほど
英語で題名をつけやがります。
個展の例えば田中ただし展とかでさえ
Tadashi Tanaka Exibition
とか書く。
おいおいと思う。
時には
拳を握ってその己の握力でもって
血が出そうな感じに
なります。
頭の中だけで。

なんでなんですかねぇ。

前に一度
フランスの公募に出してみたことがあって
さすがにその時は
無い英語知識をフルバーニアンで
高校の時の英語の参考書なんか
文字通り参考にして
題名とか考えましたよ。
まぁ
何の音沙汰もありませんでしたけどね。

個展に向けて相棒も
自分の作品ファイルを作っていたんで
それを見せてもらったんですが
むかつくことに
もう
のっけから
2004 WORKSとか書いちゃってさ。
もちろん
作品の題名も全部英語だし
素材名まで
oil on canvasとか
書いてる始末。

大して期待はしてませんでしたが
一応念のために
「何で英語表記しとうとや?」
と尋ねてみると
「英語のほうがかっこええからや」
と。
田中苦笑。

まぁ文字は目で見るものですから
そのヴィジュアルイメージってのは
大切ですけどね
お前ら
日本人だろと
英語で日本人の客に通じると思ってんのか
おめでてーなと。
わけわかんないわけですよ。
素直にその作品の題名の意味が
何なのかが。

たとえ英語のその日本語訳を知ってたとしても
実際の英語の持つ
その言葉の意味が
その日本語訳で適当なのかどうなのか
私には分からないわけですよ。
だから安易に
日本語で思いついた題名を
かっこよくしたいがために
英語表記にしてしまうと
それが持つ意味だったりが
変化するわけですよ。
それでいいのかよと。
作家として
それでいいのかよと。
作品を作るのに
自分の表現をとことん追及しておいて
最後の最後で
自分の意図を誤解される恐れのあるように
できるっつーのは
てめー
なんなんだよと。
非常に
私には理解できないわけです。

自分はいつも
日本語で考え日本語で喋り
日本語を書いてるわけですから。
それに対する意味とかイメージも
概ね把握できてるわけで
当然その言葉で
自分の作品を表現するわけですよ。

そこらへん
いつも
友達の個展とか見に行って
苛々します。


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